歌詞についての解釈

昨日ツイッターに、「イエローモンキーと吉井和哉の歌詞に”バイク”という単語がある曲が1曲もなかった」というようなことを書いた。吉井さんは自分の中に無いものを歌にできない人なんだと勝手に解釈した。ということは、今までの曲はすべて吉井さんの中にあるものということになる。どんなに奇抜で非現実的な歌詞だったとしても、中心には”自分”というものがある。表現するにあたってそれはとても重要なことで、素を出しつつもアートに昇華させるのは非常に難しいことなんだろうと素人ながらに思う。だから毎回苦しんでいるんだ。どんな歌手もそれを毎回乗り越えて曲を作っていて、聴き手はそれを感じ取って感動してそして、自分のなかに取り込んでいく。本当に吉井さんがバイク乗りになったらどんな曲が生まれるんだろう。ものすごくゴキゲンな曲になるのかな。免許取ったぜ!乗ったぜ!気持ちいいぜ!みたいな。 ……ちょっと嫌だな…。

吉井さんの歌詞には「車」「ドライブ」「自転車」「電車」「列車」などがたまに登場してきて、

「車」「ドライブ」=自分自身

「自転車」=幼少、青春

「電車」「列車」=現在から未来への進行(良くも悪くも)

というイメージが私の中にはある。「車」「ドライブ」の例をあげると、

君を失ってしまった オレはどうやら ガラクタみたいな車 鈍いクラクションが
(BELIEVE / 吉井和哉)

車の状態と、自分自身の心の状態を重ねて表現している(であろう)とてもうまい歌詞だと思う。この後の「窓ガラス」という単語も、車の窓ガラスなのか自分の瞳、視界のことなのか。どっちともなのか。考えていけばいくほど深みを増す。

天気がいいから気分を変えにドライブに行くんだ
(人それぞれのマイウェイ / 吉井和哉)

”立ち止まっている”マイウェイだと、かなり客観的な印象があるしめちゃくちゃ暗い曲になってしまうんだけど、”立ち止まってみる”マイウェイは、主観的。車の運転をして(自分自身を動かして)いくにあたって客観的な言葉だと視点にズレが生じてしまう。言葉選びの天才。

月が昇れば狼になって いつも優しい君を乗せて 悩みのたねを吐き出すように シフトを強く入れたりして
(MOONLIGHT DRIVE / THE YELLOW MONKEY)

これもまた巧みな歌詞だなと思った。私は、ドライブとセックスを両方歌っているな?と踏んでいる(誰)。吉井和哉はたいてい恋愛しているときは「モラルを越え」ているし。この歌詞はいろんなことに悩んで、泣きながらも「君」とのドライブ(セックス)を続けていく、曲調とは裏腹のちょっと切ない歌詞だと思う。

他にも「電車」だったら、

いつもの電車に乗っていつもの駅で 降りたら希望とやらを信じて 言葉の枯葉
はらいのけて 前を向いて歩こう
(スティルアライヴ / YOSHII LOVINSON)

かなり投げやりな印象もあるこの歌詞。「鳥」(女性のことかもしれない)にこの先のことを尋ねたいと弱気になりつつもやっぱり答えなくていいよと前を向きだすラストは、思い出の街(記憶)をさまよって弱くなっている自分との決別、現在の立ち位置から未来への進行を電車で表現しているのかなぁと。どんな意味が込められていようがこの曲も大好き。

このスティルアライヴの「電車」からIslandの「タクシー」の変化はまあまあ大きいものだと思った。運び出してくれるものという意味では同じだけど、「いつもと違う場所に向かって」という意味では「いつもの電車に乗って」いたスティルアライヴの歌詞とは何かが違う。吉井さんは新しいものを見つけたんだ。すべては繋がっている。


歌詞のこと考えるの超楽しい。

名盤。

TALIからのスティルアライヴは痺れる。

アレンジが見事。ライブ行きたい。

信じられるか? MOONLIGHT DRIVEってカップリングなんだぜ…。